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zoom RSS ★YAS-61

<<   作成日時 : 2005/04/27 11:34   >>

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6万円だった。

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このエントリーは公開から3年以上経過していますが、アーカイブ化までの間現状のまま公開致しております。
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その年、とある事で入社が決まった会社の先輩にセミプロのビッグバンドで演奏している方がおられた。
非常にノリの良い方で、徐々に親しくさせて戴いたが、おそらくその会話の中で相談を持ちかけたのだろう。
「今度サックス始めてみたいんですけど・・・・」多分23歳だったと思う。

「俺今殆ど吹かないから売ってやろうか??」先輩はテナーに転向していた。一も二も無く飛びついた。
「但し!これはいずれウチの娘に吹かせようと思ってたヤツだから、大事に扱うように!!」
当然二つ返事だった。
「まぁ古いものだから、6万位でどうだ!?」入社間も無いので未だ金銭的余裕は無かったが、月に2万ずつの3回払いで話が着いた。
かくして、ここからサックスとの付き合いが始まる事になる。今にして思うと6万円は先行投資としては甚だ効率が良かった、と云う事になるのか。
その頃は未だ現役でユーフォニァムを吹いていたので、2足のわらじを(その頃は勢いがあったので瞬間最高で5〜6足を)履く事になった。

当時の日本楽器製造株式会社(ヤマハ)が日本管楽器製造株式会社を吸収合併したのはヤマハの資料に寄れば昭和45年との事。中学生の頃は未だ未だ「Nikkan」の管楽器は大量にあったので、その頃で既に最低10年以上は経っていた事になる。中学2年の頃、生涯で最初に触れた管楽器はあちこちヘコんだNikkan YEP-201(ユーフォニァム)だった。
当時のYAMAHAの場合、型番の"10"の位がグレード、"1"の位がヴァージョンを表す(現在は3ケタもある)。"6"は当時で云う"プロモデル"。つまりはこの"YAS-61"は製造当時の最高機種である。この機種を踏まえて後年名器と呼ばれる"YAS-62""62 II"が誕生する事になる。

確かに既にこなれており、良く鳴る楽器だった。マウスピースは買わねばならず、先輩のアドヴァイスからMeyerを手に入れた。5MMではモッサリした感じを受けたので、6のショートフェイシングだったと思う。この方が「パリッ!」と云うニュアンスが出たのだ。
しばらくは自己流で練習をしていた。吹奏楽にはそれまでずっと携わって来たので、日常的にサックスやその音には触れて来ている、それまでリコーダーや既にウィンドシンセを手にしていたのでフィンガリングもそこそこ行けた。目指していたのは勿論"伊東たけし"。程なく、身の程知らずにもDukoffも手にする事になる。
「ま、金管やってたからそうかも知れないけど、ブレスの使い方が全然違うんだよな。音程も悪いし」。
付いた"先生"は既に面識はあったが、その頃は"ブラバン上がり""フュージョン小僧"を目の敵とばかり(本当は違ったのだが)にする事でも有名であった。こちらもいきなりDukoffをレッスンに持ち込むは、フレージングの解釈も勝手にやるは、ベンド、グロウルは掛けまくるは、パリパリ吹きまくるは、相当扱い辛かったに違い無い。お互い出会いは最悪だった。
徹底的に吹き方を矯正される事にもなるのだが、素直になるまでにはそこから数年後Selmer Mark6を手に入れるまでの時間を要した。
とにかく「YAS-61」時代は今思えば何をやっていたのか、と。若気の至りここに極まれり、と云う時期だった。ただYAS-61は健気にも応えてくれた。扱い易かった。

Selmerとの音程の違い、音色の違い、何より基本クオリティの違いに愕然としたのは、始めて3年程経過した頃だろうか。レッスンの同級生がSelmer SA80を吹いており、ちょっとだけ吹かせてもらったのだが、衝撃に近い印象を受けた。加えて別の同級生が、その先生が吹いていたMark6を手に入れ、YASー61を調整に出している間それを暫く貸して貰っていた時に明らかな違いを感じた。
行きたい所に行ける。音程もカッチリとはめたい処にはまる。音も届けたい所に届く。何より音が深い。全てにおいてYAS-61よりも広く、高く、正確で、深くて大きかった。
絶望、とまでは云わないが暫くYAS-61を封印する事になり、結局そのMark6を手にする事になるのだが、その際に資金難の為YAS-61は封印したまま手放すことになった。とても安かった。

例えば今であれば、YAS-61の持つ素直で明るい性格と、しなやかな鳴り易さとを活かす事は出来る。ビッグバンドなどでは丁度良いだろう。
当時よりは管を鳴らす事は出来る訳だし、コントロールも出来る。
音程に関しても、耳は出来た訳だし、きちんと管体をチューニングする事を覚えたので問題は減らす事は可能だ。マウスピースの選定如何では問題なく吹ける。どうしても辛ければネックを切っても良い訳だ。
キーガードを切って抵抗を減らす、なんて事も知っているし、棒バネを針バネに換えキーアクションを改善する、と云う発想も出来る。
最終的にはリラッカーなり、シルバープレートを乗せて抵抗をつける事だって経済的な部分が許せば可能なのだ。
何なら東京に出向いて、腕の良い職人さんにチューニングしてもらう事だって出来る。
その頃、訳知り顔で「やっぱSelmerだよね」等とほざいて、それ以上の愛情を注げなかった。扱うのはあくまで自分なのだ。確かに"相性"や時期の問題もあるのだが、そんな事を思いはじめるとチクチクと胸が痛む思いは未だにある。

しかし、お陰様を持って今がある。
Selmerに持ち替えてから改めてYAMAHAの良さを知る事になったし、無知蒙昧が解かれて様々な音色を持つ様々な楽器に出会う事も出来た。結果、自分のオリジナルな音、自分の方向性を自分で探り当てる事も出来るようになった。実際の処はSelmer Mark6に相当の部分を鍛えられ、教えられる訳だが、常にそこにはYAS-61の存在とその時代が頭にあった。あの頃はこうだった、今はこう、ではどうする??と。

きっとそのYAS-61は今都内近郊のビギナープレイヤーの元で、従順に鳴りながら様々な事を"教えて"いるのに違い無い。
きっとそうだ。

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